Interview

「メデスキー、マーティン&ウッドは今日も我が道をゆく」

スタジオでなくライブショーで曲を作り上げる新たなレコーディング方法に挑戦するインプロ狂たち

メデスキー、マーティン&ウッド

17年に渡る活動の中で9枚のスタジオアルバム発表と数えきれないツアーを経てきたメデスキー、マーティン&ウッド(Medeski, Martin and Wood)は、ある意味で国を持たないバンドと言える。そして彼らは、今までになく満ち足りている。

彼らは、キーボード担当のジョン・メデスキーの言葉によるところの「ジャズの精神」に身を捧げ、猛烈な即興演奏を追求する。また彼らはジョン・スコフィールドのような著名プレイヤーとレコーディングをし、ジャズの象徴的レーベルであるブルーノートと1998年に契約を交わしている。それにも関わらず彼らはいつも、ジャズ・コミュニティの中で居場所を見つけるのに苦労をしてきた。

「ジャズクラブで居心地良く感じたことはなかったな」と、ロッククラブやカフェでの演奏が多かった活動初期を思い出してメデスキーは言う。「なぜならジャズのオーディエンスというのはいつでも、、、聴いたことのある音楽に似たようなものを聴きたがるものだから。最初に3人でプレイした時にすぐ分かったんだ。これは、僕らならではの音楽だって。まさに今生まれている音楽であって、30年前に起こったことの繰り返しじゃない、ってはっきり感じたんだ。」

さて本日カリフォルニアのEl Rey Theaterで演奏を予定しているMMWは、既に確立された目覚ましい業績に重ねて、いま新しい一歩を踏み出そうとしている。レーベル所属時代を終え、1年のうちに3枚のアルバムを自分たちの手でリリースしようというのだ。

「確かにレコード会社の視点で考えると、あんまり賢いビジネス方法じゃないよね」とメデスキーは笑い、このような独立計画のあとでレーベルと再契約を結ぶのは楽ではないだろうと指摘する。「でも言っておくけど、レコード業界というのはちゃんと仕事をしてこなかったんだよ。」

草の根ファンの基盤を持ったミュージシャンが独立するというのは、ポスト・レディオヘッド時代の今では特に珍しいことではない。しかしここで特筆すべきなのは、この3枚のアルバムは通常と全く逆の流れでレコーディング/リリースが行われるということだ。

アルバムを作ってからツアーに出てプロモーションするという方法に代わってMMWは、曲の大まかなアイデアをリハーサルで形にして、ツアー演奏しながら肉付けするという方法を取る。それからその曲はスタジオに持ち込まれ、また新しい曲と新しいツアーとともに同じプロセスが繰り返されるのだ。

この試みによる最初のアルバムである「Radiolarians 1」は9月にリリースされた。「Radiolarians 2」はつい先日レコーディングが完了したところだ。そして今日のEl Reyでのショーでは、3部作の最後を飾る「Radiolarians 3」に収録されるであろう曲たちが、進化の途上にある状態で演奏されるだろう。

「僕らにとっては、自分たちが即興演奏できてワクワクできることが一番だから、そうだねそれもインスピレーションの一部でもあるね」とメデスキーは、オーディエンスの感性についても言及する。「僕らは、お客さんがヒット曲目当てでライブに来るようなポップバンドとは違うからね。」

今のところ「Radiolarians」シリーズは、ポップと呼ぶにはほど遠い音になっているが、正気を失ったカーニバルを思わせると例えられるメデスキーのキーボード、ワウペダルを多用したエレキギター、そして「Professor Nohair」で聴けるようなニューオリンズの伝統にどっぷり浸かったような直球のアコースティックピアノすらもがあいまって起こる、スタイリッシュな錬金術が貫かれている。

メデスキーの背後では、ヒップホップ、ラテン、そして各種民族音楽のリズムを滑らかに飛び回るドラムのビリー・マーティンがいる。そしてベースのクリス・ウッドは、「Cloud Wars」で聴けるようなスペースロックのファズエフェクトから「Rolling Son」のような打楽器的なタイトさまでをうねり進んでいく。

技巧派の演奏を聴かせるこのバンドへは高い評価が寄せられ、それによって近年では新しく、期待していなかったファン層を獲得するに至った。

「90年代半ば位にPhishが僕たちのCDをセットブレイクの時に掛け始めたんだ、、、その影響で彼らのお客の一部が僕らの音楽にヤラれ始めた」とウッドは言う。「なんだかシュールだったよ。だって自分たちでは、Sun RaやCharles Mingus、Sly Stoneなんかの影響を意識しながらプレイしていたのに、たくさんのお客さんはトレイ・アナスタシオのことを考えていたわけだからね。」

彼らはそのようなリスナーを挑発するという明確な目的を持ったアルバム「The Dropper」を2000年にリリースした。陰鬱なほどに暗く厳しいほどに鋭いこのレコードは評論家からの支持を受け、そしてバンドは新しいオーディエンスを受け入れ、ボナルーやジャムクルーズのようなお香の煙がお決まりのフェスティバルでも頻繁に演奏するようになった。しかしマーティンは、そのような音楽シーンにまとめられてしまうことへの苛立ちを表す。

品格あるフリージャズ(「Farmer's Reserve」など)から最近の子供向けアルバム(「Let's Go Everywhere」)にまで自在にスタイルを変えつづけジャムバンドファンもそれを支えてきたが、彼らはそのファン達に仕える義務は全く感じていない。

「僕らは基本的に、自分たちのやりたいことをやる。それが唯一の、3人で集まってプレイして、自分たちのやってることに満足しながら新境地を切り開く方法だから」とマーティンは言う。「それでジャムバンド信者たち(jam-banders)を追い払うことになってしまっても、僕たちは別に構わないんだ。」

2008年11月21日 LA Times

元のインタビュー記事http://www.latimes.com/entertainment/la-et-mmw21-2008nov21,0,36775.story
翻訳 Sorane Yamahirahttp://room1268.blogspot.com/

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